フィリピンの語学学校比較・徹底取材記! マニラに眠る戦国のラストサムライ |
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マニラに眠る戦国のラストサムライ ~信長・秀吉・家康 そこに右近~
昨今、フィリピンへ留学する日本人生徒が急増しています。
5年前と比べるとフィリピンへの渡航者は10倍とも言われており、フィリピン留学を支援する仕事をしている筆者にとってもこの状況は嬉しい限りです。
しかし今からちょうど400年前(1615) 、絶望と悲しみの中、長崎の港からフィリピンのマニラに渡った戦国武将のことは 意外と知られていません。
戦国の3大英傑 織田信長に愛され、豊臣秀吉・徳川家康にその才能と影響力を恐れられたキリスタン大名の高山右近(タカヤマ ウコン)です。
海外留学とは直接関係ありませんが、今回のコラムはこの高山右近を紹介します。
高山右近は、1552年 摂津の国 (現在の大阪)に高山友照の長男として生まれました。右近12歳の時に、父がイエズス会の宣教師からキリスト教の話を聞き感銘を受けたことによりキリスト教の洗礼を受け、入信 その後、息子にも洗礼を受けさせ、高山ユストの洗礼名(正義の人 ジュストという説もあります)を得ました。 右近は南蛮の宣教師から、信仰はもちろん語学や当時最先端のヨーロッパの科学・世界情勢を学んでいきます。
戦国の革命児 信長と右近
右近の幼少期、戦国の舞台に彗星のごとくデビューしたのが、織田信長でした。 信長は、中世の古い習慣や慣習を嫌い、西洋文化や鉄砲などを積極的に取り入れたことでも有名ですが、キリスト教にも比較的寛容で日本への布教活動も支援していきます。 これは将来大陸への進出を考慮して、キリスト教の宣教師を通じて、大陸の情報を得ておく目的もあったようです。 (後年、後継者 豊臣秀吉が大陸侵略を実行します)
信長の人材登用方法は、あくまでも完全実力主義。 家柄・年齢・宗教などには関係なく、仕事できちんと成果がだせる人材のみを登用していきます。 百姓出身でアルバイト雇用だった秀吉や中途採用の明智光秀が、織田家で飛躍的に出世していったように、右近を家臣にした信長は、ポルトガル語を流暢に話し、頭脳明晰な右近から南蛮の文化やキリスト教えを学んでいきます。 信仰に厚く私利私欲で動かない右近を最後までとても可愛がり信頼していたようです。
真面目だったとされる右近は人徳の人としても知られて、多くの武将が影響を受けてキリスタンになりました。 その一人に昨年度のNHK大河ドラマの主役にもなった黒田官兵衛(洗礼名 シメオン)などがキリスタンの洗礼を受けています。 また文化人・茶人としても高い才能があり、千利休の高弟の1人にも数えられるほどでした。一方、孤児や働き手を失った貧しい信者の生活を助けたり、身をもってキリスト教の愛徳を行ったと言われています。
キリスト教徒への迫害
1582年、本能寺の変で信長が没すると、豊臣秀吉が信長の天下統一を引き継ぎ天下人に登りつめます。 右近はその秀吉の天下統一までのすべての戦に参戦して、秀吉からも厚い信頼を受けていきます。 右近を信頼していた秀吉が、キリスタンにならなったのは、キリスト教が一夫多妻制を禁止していたためとも言われています(秀吉にはたくさんの側室がいました)
しかし右近の受難の人生が始まったのは、この頃でした。 秀吉は、キリスト教のあまりの勢力拡大に日本征服の意図を疑い、 『バテレン追放令』を出します。 つまり宣教師は国外追放、キリスタンの布教活動は禁じるというものです。
この時、信仰が深い右近は、信仰を守ることと引き換えに大名としての地位・領地・財産を全て捨てることを選びました。
右近は、浪人という身でありながら、元キリスタン大名などの助けを受けて、愛する家族と共に小豆島や金沢などで細々と茶道と宣教に没頭した日々を送ります。
その後、時代は徳川家康の天下となり、江戸に幕府が開かれます。 家康は、キリスト教を厳しく弾圧して、1612年とうとうキリスタン禁教令を発布しました。 国内のキリスタンを全員国外追放にする命令です。
右近はカトリックの国 フィリピンマニラに国外追放になります。
当時の航海術を考えれば死刑に近いと考えられていた過酷な航海の末、マニラに到着します。 マニラでは、日本のキリスタン武将として右近は既に有名で、到着するとマニラ市民が港で盛大に出迎えて、当時のフィリピン総督からの大歓迎を受けました。
馬車で街を案内してもらった際にも、大勢のマニラ市民がサムライ右近見たさに沿道に集まり 聖堂の鐘が鳴り響いたと言われています。
残念ながら、右近は船旅の疲れと、慣れない環境のために、熱病にかかりマニラ到着後この世を去りました。(享年 64歳)
現在、マニラ市のディオラ広場には、高山右近像があります。
右近 没後 400年の時をへて
筆者は、戦国時代 すべての大名が己の野望のために、領土拡大・天下統一を目指す中、自らの信仰に誇りを持ち、地位・財産を失い、祖国を追われても、ゼウスの教えに忠実に生きた右近の生き方がたまならく好きです。
昨今、インターネット・SNSの発達により、たくさんの情報を瞬時に受け取ることができ、また伝えることができる時代になりました。 ほんの数年前と比較しても、そのスピード感は信じられないものがあり、これからますます我々はその恩恵を享受することになりますが、 ゆえにその莫大な情報量のため、自分にとって何が本当に大切なことなのか? 今何をやらなければならないのか? 何を守らなければならないのか? など逆に迷ってしまうことが多いように感じます。
これから海外で自分の力を試そうと考えている方々には、積極的にいろいろな挑戦・体験をして視野を広げてほしいと思うと同時に、何があっても絶対譲れないこと、極めていかなければならないことを見つけて右近のようにぶれずに海を渡ってほしいです。
それが、マニラの地で亡くなった右近没後400年のメッセージだと筆者は思い、これからのファーストサムライが世界で活躍することを願いたいです。

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